勉強しても成績が上がらない人は何が原因だと考えられますか?
Quoraというサイトからの転載です。
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勉強しても成績が上がらない人は何が原因だと考えられますか?という質問に対する回答ですが、同意できる部分がかなり多かったです。
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高校の教員です。学力的にちょうど真ん中くらいの位置の学校に勤務していると、こうしたことには敏感にならざるを得ません。私が生徒を見て考えていることを挙げてみます。
①そもそも「勉強」「理解」「習得」とは何か、わかっていない
生徒たちにとって、「勉強」という行為の意味が、何らかの理解や習得を目指すものではなく、単なる「単語の暗記」「作業」になっているケースを死ぬほど見ます。
数学の新しい公式、ひいては新しい考え方に出会った場合、背景にある考え方には全く関心を示さず(あるいは理解できず)、単に公式を暗記して式を運用するだけ、というケースを死ぬほど見ます。
国語にしても数学にしても、新しい考え方が手に入ったら、自分でもそれを延長して考えてみて、日常生活の中で運用してみると、ものの見方が変わったりします。本来国語や数学のような理解系教科は、自分のものの見方にある程度の変更を迫るものですが、勉強によって自分のものの見方を変えるなどと言うことには思いもよらない生徒を死ぬほど見ます。自分の家と身の回りの世界が全てで、勉強は「それとは関係なく、単にペタッと貼り付けるように覚えるもの」と思っているようです。
「ここまで(例えば例題や基礎に留まらず、類題や応用や章末問題まで)できるようになったら、きちんと理解できたと言えるから、それを丹念に目指していこう」というような感覚や経験は真面目に勉強したければ不可欠ですが、そもそも「きちんと理解できた」経験を全くもっていないように見える生徒を死ぬほど見ます。
勉強が、世の中で使われている技術だの、世の中の仕組みを裏で支配している法則だの、現実に役立ちうる「世界理解」の重要なパーツであるということなど、思いもよらない生徒は数多いでしょう。多くの生徒が毛虫のように嫌う数学や物理の知識が存在しなければ、彼ら彼女らの大好きなスマホもインスタもゲームも存在できませんし、業績管理や財務管理に数学モデルを使わない会社はないでしょうし、法律の条文と縁のない会社もありませんから命題や論理や政治・経済は知らないと話にならないケースは非常に多いでしょうが、そもそも世の中で責任もって働く人になりたいと思っているのか・大人が背負うべきことをどれくらい意識できているのか・自分の置かれている環境(保護対象である)が永久に続くと思っているのではないか、そんな生徒は多いです。簡潔に言えば、勉強は世の中を生きていくための「装備品」「武器」でもあるのですが、そのことを全く理解していないし、そもそも世の中で自分が戦っていかなければならないということを全く希薄にしか意識していません。
要するに、勉強の意味を勘違いしていて、きちんとわかったというレベルまで理解することをせず、ぼんやりしていても何となく「わかった」気になったところだけ覚えて、目の前の授業とテストをとりあえずしのぐことしかしていなかったら、勉強ができるはずがありません。
②前の段階で培っていることが望ましい勉強力の要素に欠落がある
子どもの思考力や判断力を伸ばすコツは何でしょうか?に対するMartin Taitさんの回答 で挙げたような様々な要素…大きく分けると「文章を間違いなく読み取る能力」(リーディングスキルテストが計量する能力と大きく重なるでしょう)と、「数・図形・集合・組み合わせに関する感覚・見通し」が、小学校段階でガッチリ身についていれば中学・高校の勉強で詰まることはなく、部分的に欠落があれば様々な教科の様々な部分で足を引っ張り、欠落がある程度以上大きいと「教科書から重要語句や公式をピックアップ」して「ひたすら暗記」して「課題を真面目に提出」して定期考査の見た目の点数を稼ぐ、以外にできることがなくなります。
③抽象性への対応が苦手である
ある程度応用的な問題になると、パッと見て思いつく解法のどれがスジがいいかちょっと考えて選び取るとか、「可能性を検討する」という手順が必要になります。言い換えると、具体的な操作を超えて、「この操作をやっていくとここらへんで詰まりそうだが、こちらの操作だとこういう感じになりそうだ」とか、抽象的に考えるということです。メタ認知と言えるかもしれません。
抽象語の獲得とメタ認知は関連がありそうですが、抽象語を含む文章を読ませて意味を説明させると大半の生徒はオウム返ししかできません。「抽象語は具体的なイメージや場面に変換・翻訳可能である」ということがそもそも分かっておらず、漢字の字面からたまたま浮かんだイメージで「おそらくこんな感じの意味…なのかな?」程度の理解を「理解」と見做していることが話をしてみると明白です。
抽象語と具体の対応関係の把握が不十分であると、大人から見て「指示理解に問題がある」「今何をすべきなのか分からない」「行動に無駄が多い」という状態になりやすいです。「受験生になれ」という言い方を進路指導部長にされても、面談でチェックしてみると、「そういえば高校受験の時に同じことを言われたな」「とりあえず勉強をしろという意味だろう」以上の理解をしていませんでした。
「目標となる学校の過去問を解いてみて、合格ラインを調べてみて、その差を埋めるために何をどのくらい勉強したらいいのか自分で把握して、使える時間を割り振って、『本当に達成できるのか』という不安をどこかに抱えながらそれを原動力に勉強に手をつけて、模試のたびに自分の到達度を気にしつつ、伸び具合を見て勉強の仕方や強度を微調整しつつ、取りつかれたように勉強に入っている人のことを『受験生』というんだけど、お前は『受験生』になれているか?オレは何かおかしなことを言っているか?」まで言うと一応理解しますが、「目標設定をしましょう」「受験先を調べましょう」「自分から計画して勉強しましょう」という通常される話を結び付けさえすれば意味が分かる話であるはずなのに、それぞれを表面的・即物的に受け取るだけであり、抽象的な言い回しの背後にある「真の意味」「真髄」みたいなことには鈍感以下であり、自分からこうした意味を読み取れる生徒は本校にはほとんどいなそうです。
自分の学校の生徒を念頭に書いて行ったら、だいぶ刺激的な文章になってしまいました。これは生徒と関わっていて、内心「おめえ、これじゃ勉強ができるわけねえだろ!」と突っ込んだケースを列挙したものであり、全てに当てはまる生徒は…残念ながらいますが、少数派であり、ここまでに挙げたうちのどれかは脱却している生徒の方が多いです(すべて当てはまらないという生徒は残念ながらおりません)。ただ、その少数派も、学校にはまじめにやってきて、授業は一応きちんと受けたフリをし、どうにかこうにか赤点を回避して、部活動やクラス行事ではそれなり以上にがんばったり活躍したりして、卒業していきます。根は善良で、いい子たちですので。
彼ら・彼女らの学力・知力を何とか引き上げてあげたいのですが、前提条件に欠落が多すぎるので、部活動のような実技の世界ですら、まず彼ら・彼女らでも何とかわかるくらいの具体的な話から体験させ、徐々に抽象的な段階に引き上げていくという方法論にならざるを得ず、時間がかかります。座学系の授業であると、学習指導要領とシラバスと大学受験の範囲であるという条件から進度がある程度機械的に決まってしまい、実態として大多数の生徒がついて来られないペース(上位校であればゆっくり目ですが)で授業をするしかなくなり、最初から見捨てられている層が発生しています。学び直しをさせたくても、充てられる時間がありません。朝学習を活用しましたが、効果はいまのところ限定的です。
「勉強しても成績が上がらない原因」の分析は、定性的(文系的)にはこれで充分であろうと思いますが、「では上げるにはどうしたらいいのか」が本当は重要であるはずです。が、決定打は私は持ち合わせておりません。
が、可能性はある程度考えられます。
・本人が本気で学力を上げたい(知力を高めたい)と思っている場合。大学入学でも、特定の分野にものすごい関心を持ってしまったでも、何でもいいのですが、本人が学力を上げたい(知力を高めたい)強い動機を持っていて、必要な苦労を全て食らいつくすぞ、くらいの気持ちになり、実際にやり切ってくれれば、間違いなく何らかの進歩が見られます。…というか、高校生の段階まで欠落を持ち越してしまった場合、本人の感覚を変更しない中だけでどれほど勉強しようが、「応用には手をつけられない・フリーズして終了」「地学基礎とか政治・経済とか、暗記系で着実に点数が伸びる科目ばかり勉強して自己満足し、いつまでも数学や英語などの時間のかかる教科に手をつけず玉砕」などというパターンに陥って終わります。
・よほどのカリスマ(本人にとって)に濃密な個別指導を長期にわたって受ける機会に恵まれた場合。勉強の伸びを阻害する要因を多々抱えてしまった生徒の実情を分析し、必要な学習を割り出すというのは、それ自体が高度な知能と分析能力を要求される難事であり、対応は本来は個別的にしかできません。もしかすると、それができるカリスマに、考え方や心がけも含めて、丁寧にケアしてもらえるのであれば、だいぶ伸び方は違うかもしれません。ただ、勉強も実技の一つであり、本人が主体的に行う要素がなければ、そのカリスマの努力もムダに終わります。どんな的確なアドバイスや指導も、本人がやろうとしていない限り、ないのと一緒です。
これを読んじゃった高校生諸君、もしいたら、自分に当てはまる点がないか、胸に手を当ててよく考えてみてください。…もっとも、この文章を読めるくらいの読解力が備わっていたら、そもそもひどく勉強が苦手にはならないはず・何かが苦手だとしたら「面倒がっているだけ」ですから、自力で対策出来てしまいますが。
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勉強しても成績が上がらない人は何が原因だと考えられますか?という質問に対する回答ですが、同意できる部分がかなり多かったです。
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高校の教員です。学力的にちょうど真ん中くらいの位置の学校に勤務していると、こうしたことには敏感にならざるを得ません。私が生徒を見て考えていることを挙げてみます。
①そもそも「勉強」「理解」「習得」とは何か、わかっていない
生徒たちにとって、「勉強」という行為の意味が、何らかの理解や習得を目指すものではなく、単なる「単語の暗記」「作業」になっているケースを死ぬほど見ます。
数学の新しい公式、ひいては新しい考え方に出会った場合、背景にある考え方には全く関心を示さず(あるいは理解できず)、単に公式を暗記して式を運用するだけ、というケースを死ぬほど見ます。
国語にしても数学にしても、新しい考え方が手に入ったら、自分でもそれを延長して考えてみて、日常生活の中で運用してみると、ものの見方が変わったりします。本来国語や数学のような理解系教科は、自分のものの見方にある程度の変更を迫るものですが、勉強によって自分のものの見方を変えるなどと言うことには思いもよらない生徒を死ぬほど見ます。自分の家と身の回りの世界が全てで、勉強は「それとは関係なく、単にペタッと貼り付けるように覚えるもの」と思っているようです。
「ここまで(例えば例題や基礎に留まらず、類題や応用や章末問題まで)できるようになったら、きちんと理解できたと言えるから、それを丹念に目指していこう」というような感覚や経験は真面目に勉強したければ不可欠ですが、そもそも「きちんと理解できた」経験を全くもっていないように見える生徒を死ぬほど見ます。
勉強が、世の中で使われている技術だの、世の中の仕組みを裏で支配している法則だの、現実に役立ちうる「世界理解」の重要なパーツであるということなど、思いもよらない生徒は数多いでしょう。多くの生徒が毛虫のように嫌う数学や物理の知識が存在しなければ、彼ら彼女らの大好きなスマホもインスタもゲームも存在できませんし、業績管理や財務管理に数学モデルを使わない会社はないでしょうし、法律の条文と縁のない会社もありませんから命題や論理や政治・経済は知らないと話にならないケースは非常に多いでしょうが、そもそも世の中で責任もって働く人になりたいと思っているのか・大人が背負うべきことをどれくらい意識できているのか・自分の置かれている環境(保護対象である)が永久に続くと思っているのではないか、そんな生徒は多いです。簡潔に言えば、勉強は世の中を生きていくための「装備品」「武器」でもあるのですが、そのことを全く理解していないし、そもそも世の中で自分が戦っていかなければならないということを全く希薄にしか意識していません。
要するに、勉強の意味を勘違いしていて、きちんとわかったというレベルまで理解することをせず、ぼんやりしていても何となく「わかった」気になったところだけ覚えて、目の前の授業とテストをとりあえずしのぐことしかしていなかったら、勉強ができるはずがありません。
②前の段階で培っていることが望ましい勉強力の要素に欠落がある
子どもの思考力や判断力を伸ばすコツは何でしょうか?に対するMartin Taitさんの回答 で挙げたような様々な要素…大きく分けると「文章を間違いなく読み取る能力」(リーディングスキルテストが計量する能力と大きく重なるでしょう)と、「数・図形・集合・組み合わせに関する感覚・見通し」が、小学校段階でガッチリ身についていれば中学・高校の勉強で詰まることはなく、部分的に欠落があれば様々な教科の様々な部分で足を引っ張り、欠落がある程度以上大きいと「教科書から重要語句や公式をピックアップ」して「ひたすら暗記」して「課題を真面目に提出」して定期考査の見た目の点数を稼ぐ、以外にできることがなくなります。
③抽象性への対応が苦手である
ある程度応用的な問題になると、パッと見て思いつく解法のどれがスジがいいかちょっと考えて選び取るとか、「可能性を検討する」という手順が必要になります。言い換えると、具体的な操作を超えて、「この操作をやっていくとここらへんで詰まりそうだが、こちらの操作だとこういう感じになりそうだ」とか、抽象的に考えるということです。メタ認知と言えるかもしれません。
抽象語の獲得とメタ認知は関連がありそうですが、抽象語を含む文章を読ませて意味を説明させると大半の生徒はオウム返ししかできません。「抽象語は具体的なイメージや場面に変換・翻訳可能である」ということがそもそも分かっておらず、漢字の字面からたまたま浮かんだイメージで「おそらくこんな感じの意味…なのかな?」程度の理解を「理解」と見做していることが話をしてみると明白です。
抽象語と具体の対応関係の把握が不十分であると、大人から見て「指示理解に問題がある」「今何をすべきなのか分からない」「行動に無駄が多い」という状態になりやすいです。「受験生になれ」という言い方を進路指導部長にされても、面談でチェックしてみると、「そういえば高校受験の時に同じことを言われたな」「とりあえず勉強をしろという意味だろう」以上の理解をしていませんでした。
「目標となる学校の過去問を解いてみて、合格ラインを調べてみて、その差を埋めるために何をどのくらい勉強したらいいのか自分で把握して、使える時間を割り振って、『本当に達成できるのか』という不安をどこかに抱えながらそれを原動力に勉強に手をつけて、模試のたびに自分の到達度を気にしつつ、伸び具合を見て勉強の仕方や強度を微調整しつつ、取りつかれたように勉強に入っている人のことを『受験生』というんだけど、お前は『受験生』になれているか?オレは何かおかしなことを言っているか?」まで言うと一応理解しますが、「目標設定をしましょう」「受験先を調べましょう」「自分から計画して勉強しましょう」という通常される話を結び付けさえすれば意味が分かる話であるはずなのに、それぞれを表面的・即物的に受け取るだけであり、抽象的な言い回しの背後にある「真の意味」「真髄」みたいなことには鈍感以下であり、自分からこうした意味を読み取れる生徒は本校にはほとんどいなそうです。
自分の学校の生徒を念頭に書いて行ったら、だいぶ刺激的な文章になってしまいました。これは生徒と関わっていて、内心「おめえ、これじゃ勉強ができるわけねえだろ!」と突っ込んだケースを列挙したものであり、全てに当てはまる生徒は…残念ながらいますが、少数派であり、ここまでに挙げたうちのどれかは脱却している生徒の方が多いです(すべて当てはまらないという生徒は残念ながらおりません)。ただ、その少数派も、学校にはまじめにやってきて、授業は一応きちんと受けたフリをし、どうにかこうにか赤点を回避して、部活動やクラス行事ではそれなり以上にがんばったり活躍したりして、卒業していきます。根は善良で、いい子たちですので。
彼ら・彼女らの学力・知力を何とか引き上げてあげたいのですが、前提条件に欠落が多すぎるので、部活動のような実技の世界ですら、まず彼ら・彼女らでも何とかわかるくらいの具体的な話から体験させ、徐々に抽象的な段階に引き上げていくという方法論にならざるを得ず、時間がかかります。座学系の授業であると、学習指導要領とシラバスと大学受験の範囲であるという条件から進度がある程度機械的に決まってしまい、実態として大多数の生徒がついて来られないペース(上位校であればゆっくり目ですが)で授業をするしかなくなり、最初から見捨てられている層が発生しています。学び直しをさせたくても、充てられる時間がありません。朝学習を活用しましたが、効果はいまのところ限定的です。
「勉強しても成績が上がらない原因」の分析は、定性的(文系的)にはこれで充分であろうと思いますが、「では上げるにはどうしたらいいのか」が本当は重要であるはずです。が、決定打は私は持ち合わせておりません。
が、可能性はある程度考えられます。
・本人が本気で学力を上げたい(知力を高めたい)と思っている場合。大学入学でも、特定の分野にものすごい関心を持ってしまったでも、何でもいいのですが、本人が学力を上げたい(知力を高めたい)強い動機を持っていて、必要な苦労を全て食らいつくすぞ、くらいの気持ちになり、実際にやり切ってくれれば、間違いなく何らかの進歩が見られます。…というか、高校生の段階まで欠落を持ち越してしまった場合、本人の感覚を変更しない中だけでどれほど勉強しようが、「応用には手をつけられない・フリーズして終了」「地学基礎とか政治・経済とか、暗記系で着実に点数が伸びる科目ばかり勉強して自己満足し、いつまでも数学や英語などの時間のかかる教科に手をつけず玉砕」などというパターンに陥って終わります。
・よほどのカリスマ(本人にとって)に濃密な個別指導を長期にわたって受ける機会に恵まれた場合。勉強の伸びを阻害する要因を多々抱えてしまった生徒の実情を分析し、必要な学習を割り出すというのは、それ自体が高度な知能と分析能力を要求される難事であり、対応は本来は個別的にしかできません。もしかすると、それができるカリスマに、考え方や心がけも含めて、丁寧にケアしてもらえるのであれば、だいぶ伸び方は違うかもしれません。ただ、勉強も実技の一つであり、本人が主体的に行う要素がなければ、そのカリスマの努力もムダに終わります。どんな的確なアドバイスや指導も、本人がやろうとしていない限り、ないのと一緒です。
これを読んじゃった高校生諸君、もしいたら、自分に当てはまる点がないか、胸に手を当ててよく考えてみてください。…もっとも、この文章を読めるくらいの読解力が備わっていたら、そもそもひどく勉強が苦手にはならないはず・何かが苦手だとしたら「面倒がっているだけ」ですから、自力で対策出来てしまいますが。