勉強が、したいことにならない


睡眠であったり食事であったり会話であったり運動であったり、あるいはボーっとしていたり、
本を読むことに没頭していたり、動画を見ていたり、掃除をしていたり、いろいろして誰もが時間を埋めています。

授業中の高校生でも、
授業に集中している人もいれば、自分で教科書を読んだり問題集を解いたりしている人もいますし、
関係のないことを考えている人もいれば、居眠りをしている人もいます。

すべての瞬間において、人は常に行動を選択しています。
意識的であっても無意識的であっても、です。何もしない、というのも選択された行動です。

何をしたいと思うかは、何に情熱を感じるかに大きく影響されます。
言い換えると、行動の選択を支配しているのが、「何に情熱を感じるか」です。
日々の行動の選択が人生を決定づけることになりますが、
それはすなわち、何に情熱を感じるかが、どういう人生にするかを決定づけるということです。

行動の選択を支配している情熱の選択の積み重ねが、今の自分であり、将来の自分です。
すべての瞬間に、行動を選択することで、自分で自分を創り続けているのが人間であり、
どういう自分になるかは、自分の情熱の対象の選択にかかっているといえます。

あなたは、何に、情熱を感じますか?

それがあなたの人生を作ってきましたし、
これからの人生もそれが大きく影響してきます。

「理想の人生」として思い描くもの(思考・建前)と、情熱(本音)の方向がズレていると
理想からは遠ざかっていくだけです。

情熱の対象を何にするかは、いろんなこと・ものに影響されますが、
その選択こそが重要です。

情熱の対象は自分で選び、情熱の対象となるように仕向けることができます。
もし、どうしても情熱の対象とできないのであれば、適性がありません。
選択し直せばいいだけです。

ゲームをしたい、TVを見たい、動画を見たい、寝ていたい、といったことは
本当にしたいことではない可能性があります。
本当にしたいことがあるのに、それに気づけていないか、
無意識的にあきらめていて代償的にゲームなどで気持ちを穴埋めしようとしているか、
体や心が疲れ弱っているために受動的にできるものを選択しているか、
そういった可能性があります。
あるいは、依存症になっていて、ゲーム等なしでは過ごせないような病的状態にある
だけの可能性もあります。

できなかったことが、できるようになったり、
わからなかったことが、わかるようになったりすることは、
幼い頃はとても楽しく感じていたはずです。
動物の本能です。
勉強も、本来、そういったものです。
しかし、勉強が嫌いだとか、勉強したくないと感じているのであれば、
勉強自体ではないところに原因があるはずです。
無理矢理やらされてすごくイヤだったり、
誰かに馬鹿にされて恥ずかしかったり悔しかったり、という思い出が
くっついているのかも知れません。
「お前は馬鹿だ、できない」と言われ続けて、自分でもそう思うように
なってしまっているのかも知れません。

せいぜい100年の人生を、十分に楽しみたいものです。
ゲームをし続けて寿命を迎えて満足であれば、その人生を否定はしませんが、
そういう人はいないのではないかと思っています。
人生がいよいよ終わりになってきたと感じるようになったときには、
自分をごまかしていたものに囚われなくなり、
本当のところが見えてくる、わかるようになってくると思います。


高校生で、大学に行きたいと思うのであれば、
勉強することに対して情熱を感じるように自分をもっていくべきです。

自分のプライドを満たすために、承認欲求を満たすために、
難関大学合格を狙い、仮に達成したとしても、
大学入学後に精神面で危機に陥るでしょう。
高い山だと思って登ってみたら、その先には、はるかに高い山々があるとわかり、
しかも自分が、登山したたくさんの仲間の一人にすぎないとわかって、
満たしたはずのプライドや承認欲求が満たされなくなって
精神面で変調をきたす人が出てきます。
大学に入って終わりの人にはならないでほしいです。

情熱の選択をプライドの満足とするのではなく、
できなかったことができるようになること、
わからなかったことがわかるようになること、
理解が深まり実力がついていくこと、にしてほしいです。
勉強すること自体に情熱を感じるようになると、高校生活が充実します。
大学入学後は、勉強する対象が広がり材料が豊富となり、さらに充実してうれしくなります。


情熱の対象は選択できるものだ、と知らない人が多いです。
生まれつき決まっているものだとか、育ってきた環境次第だとかは誤解です。
変えられないものに縛られ、流されるままに生きていてはもったいないです。
日々、そして、毎瞬間、自分で自分の行動を選択しながら生きている事実に
気づくことがスタートです。
高校生で授業を受けているとしても、その同じ環境で、実際にやっていること、感じていること、
時間の使い方は、みな違います。情熱の対象が違うからです。

情熱の対象を自ら選択し、自分の脳を操縦する感覚をつかむことができれば、
人生をより楽しめるようになるはずだと思っています。
思い通りになるということではないですが、
強制・強要されるだけの人生ではなくなります。
仮に授業に参加することを強要されたとしても、さまざまな選択が可能です。