数学は暗記科目?

「数学は暗記だ!」と主張している人がいれば、
「数学は丸暗記では実力がつかない」「数学は考える科目で、暗記科目ではない」と言う人もいます。
一見矛盾しているようですが、実はどっちも正しいかな、というのが、私の結論です。

まずは、県立高校入試の数学を丸暗記で乗り切ってきた人の症例を挙げます。
おなじみの、三平方の定理です。


この直角三角形の辺の長さを表している文字を変えてみると、
丸暗記をしてきた人は
と考え、答えが合わない!と困ります。

ここまでの典型例はめったに出会わないですが、
似たような人は割と多いように感じています。
公式を意味も考えず丸暗記してしまうと、こういうことになります。
三平方の定理で辺の長さとして使われている文字、a,b,c
仮にこの長さで与えられた場合で考えてみると、という仮定にすぎません。


三平方の定理つづきで、
中学校では、三平方の定理は直角三角形にだけ成り立つものだと教わります。
そして多くの中学生は、「そうなんだ」と思い、そのまま覚えます。
証明方法はいろいろありますが、カンタンな、この証明方法くらいはいつでもできるようにしていたいです。
とりあえず、三平方の定理を丸暗記しておけば、中学生のときに出会う多くの問題には対応できます。
ですが、
できれば、
直角三角形以外だったら、どうなるの?とか、
=(イコール)が成り立たないのはどういう場合なの?といった疑問を持ってほしいです。
三平方の定理を丸暗記して、それだけで済ませた人にとっては、数学は暗記科目です。
そして問題を解くことは、ただの作業にすぎなくなります。
それだけで済ませず、直角三角形以外の三角形だったらどうなるのかと疑問を感じた人にとっては
数学は暗記科目ではありません。
その追究は、思考の楽しさを感じる勉強になります。

まず、直角より小さくなった場合(鋭角三角形)を考えます。
この青色の角は90度より小さいですが、これが90度になるように辺を動かすと、
次の図のように、cの長さでは足りなくなります。
つまり、
ということです。
逆にいうと、この不等式になったときは、その三角形は鋭角三角形だということです。

次に、直角より大きくなった場合(鈍角三角形)を考えます。
この赤色の角は90度より大きいですが、これが90度になるように辺を動かすと、
次の図のように、cの長さだと長すぎることになります。
つまり、
ということです。
逆にいうと、この不等式になったときは、その三角形は鈍角三角形だということです。

こんなふうに、三平方の定理を習ったあと、丸暗記で終わらせることもできますし(数学は暗記科目)、
ほんのちょっとした疑問を契機に、さらに考えてみることもできます(数学は暗記科目ではない)。
この場合、どちらであっても、三平方の定理自体は覚えていて、使いこなすことができます。
どこまでを求めるかによって、数学が、暗記科目かそうでないかが分かれるといってもいいかも知れません。
ある程度覚えるべきことを覚えるのは当然の前提です。

数学を暗記科目だと考える人は、ここで、鋭角三角形、直角三角形、鈍角三角形の見分け方として暗記します。
数学を暗記科目だとは考えない人は、三平方の定理について証明のパターンを増やそうとしつつ、
鋭角三角形のときは斜辺だったところが長さが足りないなと、頭の中で辺を動かしてあたりまえのことと納得します。
あるいは、直角三角形からスタートして、直角を鋭角にしようとすると、斜辺のところの長さが余るなと納得します。
鈍角三角形についても同じです。
したがって、鋭角三角形、鈍角三角形の見分け方として公式のような形で覚えることはしません。
あたりまえのことに思えるからです。

数学を暗記科目と捉える人は、三平方の定理の証明にはあまり関心を持たないと思います。
特に次の、等積変形で証明する方法には拒絶反応が出るように思います。少し暗記しづらいからです。
この証明方法に対する態度で、暗記科目派か暗記科目でない派かがわかるかも知れません。

いろいろな証明方法がある中で、直角の頂点から斜辺に垂線を引くだけで、相似によって証明する方法がいちばんシンプルですね。
これを紙に書かずに頭の中だけでできるかどうかも、両派のリトマス試験紙にできるかも知れません。

ついでに、
も、三平方の定理ですよね。高校ではそんなふうには教えられないので気づかない人も多いですが。
ということは、高校の教師の多くは、暗記科目派だといえるかも知れないです。



ここまで、「数学は暗記科目である派(ある派)」と「数学は暗記科目ではない派(ない派)」に分けて
書いてきましたが、
実は、本来、ない派に属する人の中にも「ある派」だと主張する人がいるので、ややこしくなっています。
それを説明するには、ちょっとだけ難しい問題を使わざるを得ません。
まずは本問を解いておきます。
与えられた条件を整理して、
(ab-1)(bc-1)(ca-1)= abc(abc-a-b-c)+ab+bc+ca-1
abc の倍数であることから、
ab+bc+ca-1 abc の倍数であることが確認できます。
そこで、ab+bc+ca-1 = abcn n は整数)  ・・・・・・・・・①とおくことができます。
1<a<b<c から、ca<bc、ab<bc、ab<ca がわかるので、
このうち、右辺に bc がある ca<bc、ab<bc を使うと
abcn = ab+bc+ca-1 の上限を設定することができそうです。
やってみると、
abcn = ab+bc+ca-1 < bc+bc+bc-1 = 3bc-1 < 3bc
すなわち、
abcn < 3bc  ・・・・・・・・・②
を得ることができました。
なぜ上限を気にしたかというと、①式から下限がすでに明らかだったからです。
②より、an < 3
a、n が整数で a が1より大きいことから、a = 2 と確定し、n = 1 と確定します。
これを①に代入すると、
2b+bc+2c-1 = 2bc
2b+2c-bc-1 = 0
 (2-b)(c-2)+3 = 0
 (b-2)(c-2) = 3
a = 2 < b < c ですから、(b-2)、(c-2) (b-2)<(c-2) である正の整数だとわかります。
よって、b-2 = 1、c-2 = 3
以上より、a = 2、b = 3、c = 5 とわかりました。

この問題は整数の性質を使った問題として標準的な難易度ですが、
この問題の解き方を丸暗記しても、類似の問題が解けるようになるとは思えません。
そこで私は、この問題を解くことができる人は、「ない派」の人だと考えています。

ところが、解くためのパターンとして整理すると、
与えられた条件を整理して上限、下限を設定し、積(かけ算)が一定の範囲に収まる形にする
となり、これを覚えておけばこの種の問題が解けるようになる人もいます。
そういう人は、数学は暗記科目だと言いがちです。
本来、ない派に属する人の中にも「ある派」だと主張する人がいる、というのは、こういうことです。
東大の入試問題の数学であっても、パターン認識をすることで処理できる人にとっては
暗記で解けるということになります。
問題文を読んで自動的に「こうすれば解けそうだ」と勘が働き、淡々と処理できる人からすれば、
自分の中に蓄積されたものによって解けるので、「暗記科目だ」と言いたくなる気持ちもわかります。
同じ「暗記」という言葉であっても、中身が違うので、議論がかみ合わなくて当然といえます。

「暗記」という言葉の中身が、
文字通り、解き方を丸暗記して、その量を増やすことで解ける問題を増やしていく方法としての「暗記」か、
思考を重ねる中でさまざまな思考回路ができあがり、大学入試問題レベルであれば真新しいと感じるものが
なくなった状態になったあとで、数学の問題は自分の中にあるものをただ引き出すだけだという意味での「暗記」か
に分かれます。

後者の場合、「暗記」といいつつも、問題を解く上で類似の問題を思い出そうとする努力はしません。
そして、その境地に至るまでは、解き方の丸暗記ではなく、考え続ける勉強を重ねたはずです。
その点で、ない派だと考えます。




ややこしい話になってしまいました。

要するに、三平方の定理のようなものはきちんと覚えざるを得ないことは当然の前提として、
問題の解き方を覚えようとするのか、
問題から手がかりを見出して試行錯誤の思考を繰り返す中で精度を上げて思考回路を作るのか、
それが「ある派」と「ない派」の違いかなと思います。
両派とも典型問題については考える必要もなく解けるようになる点で同じです。

県立高校入試レベルであれば、「ある派」でも満点を取れます。
共通テストの数学ⅠAでは、「ある派」も頑張れば満点を狙えます。
そこまでで十分な場合は、暗記で乗り切るのも手です。
共テ利用で合格を狙うのであれば十分ですし、
文系で共テしか数学が課されない場合も暗記で乗り切ることができます。
基本事項をおさえたあとで、過去問を繰り返し解くだけです。

難関大学の数学を解きこなそうとするのであれば、
「ない派」になることが必要だと思います。
問題文を一度読んだだけでは、どうすれば解けるのかがわからないような問題は
必ず出題されます。
思考回路をたくさん作ってきた人にとっては、だいたいこうすれば良さそうという
方向性が見えてしまうので、どうすれば?とは思わないことも多いです。
問題文から、問題作成者の意図が透けて見えるようになることが理想です。




部員には、ふだんから、できるだけ考える勉強をしてほしく思います。
つまり、ある派ではなく、ない派で実力をつけていってほしいです。
中学校で比を習いますが、
内項の積と外項の積は等しい、と習ったあとは、ひたすらそればかりを使うように
なる人もいますが、それは残念です。
たとえば、
を解く場合に、
「内項の積と外項の積は等しい」と暗記した「ある派」の人は、その暗記に従い
と解くことが多いと思います。
「ない派」の人であれば、そういう計算は避け、13 : 78 = 1 : 6 であることから
36 ÷ 6 = 6 と、筆算不要で答えを出すでしょう。
1 : 6 の関係だから、6で割ればいいよね」と意味を考えるだけです。
某講師の名言ですが、「数式は計算じゃない。言葉だ。」です。
「内項の積と外項の積は等しい」と知っていてもすぐに飛びつくのではなく、
問題ごとに分析して状況を把握し、それに最も適した解き方で解くのです。いちいち考えるのです。
いち早く安心しようとして、適用できる公式や解いたことのある類似問題を思い出そうとはしないのです。
「わからない」という不安への耐性が強く、「わからない」ことをむしろ楽しんでいる部分もあると思います。




「数学は暗記科目である派」の中の純粋な「ある派」の人は、最初から公式などを暗記しようとし
記憶を作ることに注力します。
「数学は暗記科目ではない派」の人は、公式を覚える前に、公式を納得しようとしたり、
例題で問題への適用方法を検討してくりかえし考えながら思考回路を作ることに注力します。
結果的には覚えてしまうことになるのですが、思考回路ができあがっている点が異なります。

中学生が「数学なんて将来使わないのに習っても無駄だ」と、
数学の勉強から逃げることを正当化するための言い訳をすることがあります。
大学入試を乗り切るために必要であれば、それだけでも十分に価値はあると思いますが、
そこまで考えが至らないのでしょう。
数学の勉強で、思考回路を作ることなく、単に暗記に走っただけであれば、
大学入試を終えたあとは、たしかに、無駄になるかも知れません。
お菓子の包装は、お菓子を食べたあとはゴミになるので、包装は無駄だと言っているようなものです。
じゃあ、最初から包装なんて無くていいじゃないか、という主張になりますが、
言い争う価値がないので、そう言う人には言わせておけばいいと思います。

暗記に走るのではなく、
数学を通して思考回路を作ることを積み重ねた場合には、
脳の働き自体がかなり違うものになっているはずです。
数学を題材に使って脳のトレーニング、自己コントロールの練習をしているのです。
思考回路が豊富であれば、物事を考える幅、速さにも優れるでしょう。直観力も伸びると思います。
ある程度の忍耐力や継続力、論理力も身についているでしょう。
無駄どころか、より良く生きていく上で、非常に重要なトレーニングと言えます。
加えて、数学を要求する志望校に合格できるのですから、全力で取り組む価値があると思います。




タイトルの「数学は暗記科目?」
については、
 暗記すべきものは暗記しなければならない、という意味で
 暗記が必要な科目
 ではあるけれど、
 高度な実力をつけるためには
 暗記科目としてではなく思考し続ける科目
 として扱うべき。
 思考し続けるうちに思考回路ができあがり、
 身についた思考回路を活用するだけで楽に解けるようになる科目
 である。
となります。もちろん、大学以降の数学は、暗記科目であるはずがありません。
受験数学に限った話です。

県立高校入試レベルの数学であれば解き方の暗記だけで対応できます。
多くの中学生が過去問を繰り返し解いて解き方を暗記し、
毎年同じような問題が出される入試を突破しています。

難関大学入試レベルになると、解き方の暗記では対応できませんが、
簡単な問題であれば自然に暗記してしまっていてそれで解けてしまいます。
だからといって、数学は暗記科目だというのは違います。
思い出しているのか、バックグラウンドで思考がはたらいているのか、
脳の使い方が大きく違っています。

数学で暗記すべきものとしては、
三角関数の加法定理や、数Ⅲの積分計算(部分積分、置換積分)などがあります。
こうしたものをいちいち考えて時間を費やすのはもったいないですから、
暗記してすばやく負荷なく処理すべきです。
この点で、暗記は必須です。

しかし、問題を解こうとしたときに、
以前に解いたことのある問題の解答を思い出して、
同じように書こうとしたり解こうとしたりするのはまちがっています。
簡単な問題であれば、そうやって正解できる場合もあります。
その行為は問題を解いているのではなく、
解答を覚えてそれを思い出しながらまねをしているだけなので、
少し違った問題になると解けなくなります。
難しい問題に対して、類題の解き方を思いだそうとした時点で
思考が停止してしまいます。
無茶なあてはめをして、デタラメな答えを出すことになるでしょう。
なぜそうしたのかを聞けば、「こんなふうに解いたことがあるから」と答えるはずです。
まったく考えていません。

中学や高校の定期テストで、授業で使っている問題集とまったく同じ問題が
出される場合には、解き方を丸暗記すれば点数が取れることになります。
ですから、そういう学校では、直前の1週間に詰め込む作業をする生徒がとても多いです。
テスト勉強というのはそういうものだ、と思い込んでしまっています。
実力をつける観点からは、きわめて愚かな行為です。

テストでの校内順位は、難関大学入試には何の因果関係もありません。
相関関係はありますが、県内トップ高校の1桁順位層の生徒でも
ボロボロと不合格になっているのが現実です。
順位を上げるための勉強をするのではなく、
実力を上げるための勉強をしなければなりません。
見栄やプライドのために、入試にまったく関係のない科目に多くの時間と労力を
注ぎ込むことはまちがっています。
配点が高いからといって、サイドリーダーの日本語訳を暗記することに時間をかけて
それで見せかけの高得点を取り、実力があると勘違いしていてはいけません。
順位が高くても実力が低ければ落ちます。
順位が高いだけで合格できるのは指定校推薦のみです。
(より正確には、指定校に応募した中で評定が最も高かった人が校内審査をパスし
 ほとんどの場合、簡単な書類作成だけで合格します)
実力のないまま合格すれば、その後は大学入試より難易度が高く量も多い科目と
必死に格闘しつづける日々が待っています。
行きたい研究室、人気の研究室に入れるかどうかは、実力次第です。
普通の推薦入試は定員が少ないために一般入試より厳しく、学力が必要です。
順位だけを考えて推薦を取れたとしても、
入試で問われる科目の実力をつけていないと確実に落ちます。

高校の指導通りにこなした場合にどうなるかは、先輩方の大学進学状況を
見ればわかります。
合格者にばかり目が行きますが、その数よりはるかに多い不合格者に着目
することが重要です。
因果関係があるのならば、上位層は大半が合格しているはずです。
相関関係にすぎないので、上位層であってもボロボロな結果なのです。

高校が主張する「実績」は、合格者についてですが、
本当の「実績」は、不合格者も含めた全体です。
合格者についても、高校だけの「実績」であることは少なく、
ほとんどが塾などを含めた「実績」であるはずです。
むしろ、不合格者の数こそが、その高校の「実績」といえると思います。
難関大学への合格者数を増やしたいがために、無茶な受験をそそのかし、
大量の不合格者を生み出しているならば、それこそが「実績」です。

事実を冷静に見る目は、数学の勉強を通しても身につきます。
暗記だけではない、思考を重ねる勉強を重ねることで、
宣伝広告にだまされない脳になっていきます。




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書きたかった中身は、だいたい以上のようなことでした。
もやもやとした状態で頭にたまっていたものを言語化することができてスッキリしました。
リクエストを下さった方に感謝します。

こんなモヤモヤは、たくさんあり、言語化を待っているのですが、
日常の中でその一つに触れる機会があるごとに言葉に直していこうと思います。