<雑感> 移転作業はまだ続いています。

かなり片付いてきました。
事故からもう1か月以上経つので当然かも知れませんが。
30日に旧教室の明渡が完了し
(事故で受けた被害について、かなり配慮をしていただくことができました)
(もしかすると、どなたかが賃貸人に何かを言ってくださったのかも知れません)
(事情はよくわからないのですが、ありがたいです)、
新教室であと残っている作業は、
向かい合う机間のパーティション(机上60cmの高さ)設置と
机で自由に使えるコンセントの設置、一部書籍の配架、その他荷物の整理です。
あと、ホームページの改訂がまだですが、これはもう少し時間がかかりそうです。
体験を待ってくださっている方への連絡が時間の関係で進みが遅いですが
一人、また一人とご案内しています。

従来の週6日コースだった人は月謝そのままで自動的に週7日コースとなり
朝から自習用に教室を使って勉強に集中しています。
週7日コースの部員は、BENBUの通常時間帯より前の、朝8時から教室を使うことができ、
自分専用の机に置き勉をすることもでき、コーヒー、紅茶なども自由に飲むことができます。
以前に比べてセブンイレブンやカスミが近くなり便利になりました。
受験生にとっては最高の環境です。

旧教室での突然の水浸し事故により、今回の移転が実現しました。
とんでもなく暑いか、土砂降りの中での移転となって効率が落ちる上、
新たに購入した机・椅子の組立てや、ダンボール等の廃棄処理にも時間がかかりながらも
2日間の休みだけでなんとか乗り切ることができました。
(この2日間は、ほぼ組立てだけをしていました)
移転の肉体労働のおかげで体脂肪を落とすことができ、体組成計が示す年齢が4歳分若返りました。
全身の筋肉も精神力も鍛え直すことができ、すべてにおいて良くなりました。ありがたいことです。
なんども繰り返したい経験ではありませんが、とてもいい経験をさせてもらえたと思います。

今回の経験は大学受験に似ているように感じます。
客観的には大変なことをやっていても、主観的には計画した目の前のこと一つ一つに集中し
なすべきことをなし続けているだけです。
そうしていると、能力やアイデアなど必要なものが湧いたり整ったりしてきて、
結果的に大きなことができ大きな喜びとなります。

部員には、今回の事故以降の私の対応・行動が受験勉強の参考になればいいなと
思っています。
まずは結果を決めて(移転先も未定なまま移転を決めました)、計画を立て、
それを見直しながら優先順位に従って順にこなしています。
途中、問題が生じても、工夫をして対応し続けていることも見てもらっていると思います。
あとは、感情的にならなかったこと、腐らず怒らなかったこと、愚痴を言わなかったこと、
どうすればこの機会を活かせるかを考え実行し続けたことも見ていた人にはわかったと思います。
こうした態度は受験にとっても非常に重要です。目の前の出来事に一喜一憂しても意味がありません。
すべてのことをよりよい結果につなげるために、いまどうすればいいか、それだけを考えて実行することが大切です。
BENBUの場合、そうした結果、とてもよい環境に変わることができました。
まるで、絶好のタイミングだと伝え、強制的に移転させるために事故が起こったかのように思えるほどです。
大変だったなーという体験はすでに過去の思い出になりつつあります。
残るのは感謝だけです。

志望校を決めたら、それに必要な能力・学習内容を割り出し、それを身につけるために
日々工夫を重ねながら努力を続けていくだけです。
どこかの授業を受けたら急によくできるようになる、なんてことはありません。
県立高校受験ではありうるのですが、それは中学の学習内容が薄く容易で、入試問題が簡単で
狭い地域での受験生の中での低い倍率の競争にすぎないからです。
県立高校受験は合格者が多数派です。しかし大学受験での合格者は少数派になります。
同じ受験と呼ばれるものであっても、県立高校受験と大学受験とは、まったくの別物です。
学習内容の難易度も量もまったく違い、受験生のレベルもまったく違うので、
県立高校受験での方法論は役立たないことも多いです。高校受験の成功体験が邪魔になることすらあります。
大学受験で成果を出すためには、
過去の方法論に固執せず、自分で努力をし続ける中で新たに方法論を確立していく以外にありません。

自分自身を操縦し自分自身に足りないものを補う努力は、ひとりひとり違うので
他人がしたことは参考にもならないことが多いです。能力も経験も環境も違うので当然のことです。
どうすればいいのかを見つけることから自分でやっていくしかありません。
努力を重ねる中で、能力が伸びていき、できることが増えていきます。

合格に必要なのは、知識を増やすことではなく、能力を育て伸ばすことです。
受け身で授業を受けていても知識が増えるだけです。わかった気になるのは錯覚です。
能力を育て伸ばすには、自分で問題を解いていくしかありません。
問題を解こうとする過程で理解不足や勘違いも見つかります。
問題が解けて初めて理解に至ります。

努力をし続けることは、後天的に自分の意思で身につけることができる能力ですが、
実は誰もが、赤ちゃん・幼児のときには持っていた能力です。
そして、できなかったことを、努力してできるようにすることに喜びを感じていました。
成長する過程で、なぜかその喜びを忘れ、自分はできないと思い込んで努力を放棄し、
TVや動画を見るだけが楽しみになったり、
ゲームやギャンブルなどの奴隷になってしまって抜け出せなくなる人が増えていきます。
大学受験の時期に、しっかり勉強し、努力を重ねる経験をすることが、
その後の人生に必ずプラスになると、私は考えています。
たいして勉強もせずに指定校推薦などで楽に有名大学に入ることができたとしても、
大学の授業にはついていけないでしょう。
大学合格は最終ゴールでもなんでもありません。
自分をさらに伸ばす場なので、大学でも努力ができる人以外は、行く意味がないのです。
難関大学に入れば、まわりは皆、その難関大学に合格した人です。
それをベースとして大学の講義がなされますので、能力不足であれば卒業も危うくなります。

努力はし続けるものです。
努力しない、向上しない人生は、私にとっては生きていないに等しく感じます。
自分のできる範囲で努力をすることで、楽しみが得られると考えます。
努力せずに得られた楽しみは刹那的なもので、本物ではないと思います。
動物として、生物として、努力は強制されてするものではなく、したくてたまらない衝動でするものだと思っています。
努力できてすごいでしょ、的な発想をするのは、内発的な衝動に基づく努力ではなく、
他人に見せたいためのみせかけの努力にすぎません。偽物です。
初めはそうした努力でも構わないと思います。そのうち、他人にどう見られるかはどうでもよくなるはずです。
なぜなら、努力して結果が得られること、自分が変わっていくことが楽しく感じられるようになり、
努力すること自体が楽しくなってくるからです。
そうした経験を通して、努力するのは当然でしょ、と普通に思っている人になってほしいです。
努力をしている過程では、大変な思いをするかも知れません。
しかし、周囲の人が思うほどの大変さは感じず、むしろ充実感を感じているはずです。
そして、良い結果にできれば、残るのは良い思い出と感謝の気持ちです。
望む最高の結果にならなかったとしても、やり切ったという充足感、満足感に包まれるはずです。
どうせ受験勉強をやるのであれば、
そこまでやり切りたいものです。