英語民間試験の採否について / 徒然草 百八十八段
現時点(2019/11/29)で明確となっている国公立大学の採否は
次の通りです。
<出願資格としての採用方針だったが廃止>
東京大学
京都大学
名古屋大学
大阪大学(AO・推薦入試の一部で民間試験採用)
九州大学(AO・推薦入試の一部で民間試験採用)
東京工業大学(民間試験の点数化も検討していたが廃止)
広島大学(英検準1級以上で共通テストの英語を満点とする方針は維持)
<民間試験の高得点のみ加点する方針だったが廃止>
筑波大学(共通テストの英語の配点をセンター試験と同じ配点にして計算)
(リーディング160点、リスニング40点)
<もともと民間試験を利用しない方針>
東北大学
北海道大学(22年度以降に加点する方針も廃止)
次の通りです。
<出願資格としての採用方針だったが廃止>
東京大学
京都大学
名古屋大学
大阪大学(AO・推薦入試の一部で民間試験採用)
九州大学(AO・推薦入試の一部で民間試験採用)
東京工業大学(民間試験の点数化も検討していたが廃止)
広島大学(英検準1級以上で共通テストの英語を満点とする方針は維持)
<民間試験の高得点のみ加点する方針だったが廃止>
筑波大学(共通テストの英語の配点をセンター試験と同じ配点にして計算)
(リーディング160点、リスニング40点)
<もともと民間試験を利用しない方針>
東北大学
北海道大学(22年度以降に加点する方針も廃止)
国語・数学記述式問題の採点業務を請け負うのはベネッセなので、
結局はベネッセを儲けさせるための迷惑な政策だったようです。
文科省の天下りが暗躍していたのかも知れません。
民間試験の準備を進めていた旺文社などはかなり損失を被ったでしょう。
再び、英語民間試験を大学入試に含めることは、ベネッセへの利益誘導が
あからさまになりすぎて、困難と思われます。
また、東大などは英検2級程度を出願資格としただけで、
合否判定に使う気が、一切なかったことが明確となりました。
そんなもので学力を測れるはずなどないのです。
高校生のみなさんには、英語民間試験などに時間を浪費することなく、
本来の勉強をしっかりしていただきたいものです。
保護者の方々には、やっておいて損はないなどと思われるのではなく、
もっとも重要なことに時間・労力をかけて、志望校合格を最優先させ、
それ以外のことは大学に入ってからやればよいと考えていただきたいです。
教養が大切だからといって、受験に使わない世界史などに多くの時間を使わせ、
受験に不可欠な物理・化学を高3の後半にまで持ち越す愚かな方針を維持している
県立高校の校長がいますが、
その方針のせいで浪人が多数生まれていることに責任を感じるべきだと思います。
教養は大切でしょうが、教養しかない生徒を量産しても無意味ですし、
教養は強要されて身につけるものではありません。それはただの知識です。
教養とただの知識との区別もできないなんて、
教養をクイズ番組のクイズに答えられるものと混同してしまうなんて、
きっとその校長には、教養がないのでしょう。
その校長に送りたいのは、徒然草の第188段。
現代語で書くと、
「ある者が、自分の子を法師にして
『仏教の学問をして、因果応報の道理もよく知り、また、説教などをやってそれを
生計の手段ともせよ』
と言ったので、
その子は、親の教訓の通りに、説教師になるために、はじめに馬に乗ることを練習した。
輿や車を持っていない自分が、法事の導師として招かれるような時に馬などを迎えによこす際に、
桃尻で落馬してしまうのは情けないだろうと思ったのである。
その次には、法事のあとで、酒などを人が勧めて飲ませることがある折に、
法師が全然芸なしなのは、施主が興ざめに思うだろうと考えて、早歌というものを習った。
乗馬と早歌の二つの技芸が次第に熟達の境に入ったので、ますます立派にやりたいと思われて
身を入れてやっていたうちに、説教を習うはずの時間の余裕がなくて、年をとってしまった。
~【中略】~
結局、何か一つの専門の上手にもならず、かねて思った通りによい暮らしをも立てず、
後悔はしても、年齢はとり返すことのできるものでないから、ちょうど走りながら坂を
下る輪のように、急速に衰弱してゆくのだ。
こういうわけであるから、一生の間に、主として望ましいことの中で、どれがまさっているかと
よくよく思い比べて、最上のことをよく考え決定して、それ以外のことは断念して、
その一つのことだけにうちこまなくてはならない。
一生のうちばかりでなく、一日の間、一時の間でも、多くのことがやってくる中で、
わずかでも得になることが多いと思うことを努力してやって、そのほかのことはなげ捨てて、
大事なことをさっさとやりとげなくてはならないのである。
どれをも捨てまいと心中に思い続けるならば、一つのことも成就するはずがないのだ。
~【中略】~
その校長に送りたいのは、徒然草の第188段。
現代語で書くと、
「ある者が、自分の子を法師にして
『仏教の学問をして、因果応報の道理もよく知り、また、説教などをやってそれを
生計の手段ともせよ』
と言ったので、
その子は、親の教訓の通りに、説教師になるために、はじめに馬に乗ることを練習した。
輿や車を持っていない自分が、法事の導師として招かれるような時に馬などを迎えによこす際に、
桃尻で落馬してしまうのは情けないだろうと思ったのである。
その次には、法事のあとで、酒などを人が勧めて飲ませることがある折に、
法師が全然芸なしなのは、施主が興ざめに思うだろうと考えて、早歌というものを習った。
乗馬と早歌の二つの技芸が次第に熟達の境に入ったので、ますます立派にやりたいと思われて
身を入れてやっていたうちに、説教を習うはずの時間の余裕がなくて、年をとってしまった。
~【中略】~
結局、何か一つの専門の上手にもならず、かねて思った通りによい暮らしをも立てず、
後悔はしても、年齢はとり返すことのできるものでないから、ちょうど走りながら坂を
下る輪のように、急速に衰弱してゆくのだ。
こういうわけであるから、一生の間に、主として望ましいことの中で、どれがまさっているかと
よくよく思い比べて、最上のことをよく考え決定して、それ以外のことは断念して、
その一つのことだけにうちこまなくてはならない。
一生のうちばかりでなく、一日の間、一時の間でも、多くのことがやってくる中で、
わずかでも得になることが多いと思うことを努力してやって、そのほかのことはなげ捨てて、
大事なことをさっさとやりとげなくてはならないのである。
どれをも捨てまいと心中に思い続けるならば、一つのことも成就するはずがないのだ。
~【中略】~
一つのことをきっとやりとげようと思うなら、そのほかのことがだめになるのを嘆いては
ならないし、他人の嘲笑をも恥ずかしいと思ってはならない。
~【以下略】
有名な大学に入り、仕事で実績をあげ、出世しあるいは世間に注目され有名になった際に、
世界史などの教養がなくては恥ずかしいと思った。
そこで、まずはじめに世界史などを勉強しているうち、あっという間に3年が過ぎ、
肝心の入試科目である物理・化学が最後まで習い終わらず、
英語も数学も一通り終えただけで入試問題の演習をこなすまでに至らなかった。
間に合わせの難関大学研究会のような集まりで難問を少しは解いたものの、
志望校の過去問を徹底して解く時間はなく、センター試験対策も後手に回り、
志望校に全然手が届かなくて、下げるか浪人するかの選択をせざるを得なくなってしまった。
そんな人がいたとしたら、兼好法師に笑われる。
「ばっかじゃねーの? 700年ほども前に警告してやってたのに。成長しろよ。はっはっは。」
有名な大学に入り、仕事で実績をあげ、出世しあるいは世間に注目され有名になった際に、
世界史などの教養がなくては恥ずかしいと思った。
そこで、まずはじめに世界史などを勉強しているうち、あっという間に3年が過ぎ、
肝心の入試科目である物理・化学が最後まで習い終わらず、
英語も数学も一通り終えただけで入試問題の演習をこなすまでに至らなかった。
間に合わせの難関大学研究会のような集まりで難問を少しは解いたものの、
志望校の過去問を徹底して解く時間はなく、センター試験対策も後手に回り、
志望校に全然手が届かなくて、下げるか浪人するかの選択をせざるを得なくなってしまった。
そんな人がいたとしたら、兼好法師に笑われる。
「ばっかじゃねーの? 700年ほども前に警告してやってたのに。成長しろよ。はっはっは。」