英語の民間検定試験について(大学入試共通テスト)

センター試験に代わる「大学入試共通テスト」の実施まで、あと年と220日ほどとなりました。
その「テスト」改革の目玉として導入が決定された、英語の民間検定試験ですが、
大学側からは軽視されています。文科省が言っているから、一応従っているようにしておこう、というスタンスです。
現在の高校年生は、特に心配する必要も不安になる必要もないといえます。
ましてや小中学生は、英語にもっと時間を割かなければなどと考える必要はありません。

どういうことか。

文科省調べのデータをお示しします。
PCの方はクリックしていただくと、別窓で元の pdf が開くようにしていますが、
画像をご覧いただければ十分です。


表内の一番上の欄を見ていただくと、
千葉大、東大、東京医科歯科大、一橋大、名古屋大、京大、阪大、神戸大、九州大など、難関・超難関大学では、民間検定試験の結果の活用を「出願資格」としています。
そして、その資格として「CEFR A2以上」としています。
CEFR A2」というのは、英検でいえば、準級の上位と、級の下位にあたります。中学生でも取れるレベルです。
参考:各検定試験とCEFRとの対照表:文科省
これを取っていれば、出願資格を満たすことにする、と難関大学はしているのです。
中学生でも取れるレベルの試験結果を、大学入試の出願資格とする、ということは、
民間検定試験などを合否の判定の材料になどしない、という意思表明です。
大学側は優秀な人材が欲しいのであって、優秀な人材か否かの判断材料としては、
英語のスピーキング力は少なくともメインの材料とはしない、ということです。
英語ができるだけの、肝心の学力・能力がダメダメな学生を合格させてもしかたありません。

英語の民間検定試験の導入案が発表された直後は大きな騒ぎになりましたが、結局は大山鳴動して鼠一匹。
文科省関連の役人や委員の「何か新しい制度を導入すれば仕事をしたことになり評価される」からしてみた、けれど、やはり失敗だった、という、いつもの流れでした。

塾によっては、小中学生の間からしっかり英語を勉強しないと大学入試に不利になる、というウソの宣伝をして生徒を集めようとしているところもあります。
英会話として日常会話程度ができるくらいの低レベルの勉強をしたところで、たいした成果には結びつきません。
小中学生の間は日本語での思考力をきちんと伸ばすことが重要ですし、そのためには、英語よりは数学でしょう。習い事で自由時間を奪うのではなく、遊びの時間も確保して、自分で判断しながら、いろんな失敗も経験しつつ、子どもらしく・人間らしく、きちんと成長していくことも重要だとおもいます。
親からのいろいろな指示に素直に従うだけの子どもは、大学入試でも不利です。仮にうまくいったとしても、大学入学後に途方にくれ、社会に出ると指示待ちしかできない無能な人となるおそれがあります。大学入試前に、何のために勉強しているのかわからなくなり、レールからはずれていってしまう人も少なくないと思います。

もっとも、英検等の成績が、入試に(ほんのわずかに)有利となる大学も一部にはあります。
それは、次の表にある通りです。


つまり、英検等の結果を点数化して、入試の得点に加点した上で合否を判定する、という大学です。
筑波大学や茨城大学が含まれています。
筑波大学を狙う人は、余裕があれば、英検であれば準1級を狙うとよいと思います。
級以下は対象外/準級でも上位の場合のみが加点対象)
ただし、加点されるといっても、期待するほどではありません。
筑波大学から発表されている資料をリンクしますが、必要な部分を以下に載せます。


本来のテストの成績をリスニングも合わせて200点満点で換算し、
民間検定試験の結果を20点、10点、5点、0点の種に評価して加点し、
加点の結果200点を超えた場合は200点とする、というものです。
したがって、大学入試共通テストの英語で満点をとれば、英検等を受けていなくても、満点になります。
英検でいうと、準級の上位レベルまたは級の下位レベルで点の加点、級の上位レベルで10点の加点となります。
信じられないほど低いですね。
試験の成績に加点するといっても、事実上、ないに等しい加点なのです。
民間検定試験に時間・労力を費やすよりも、本来の勉強に力を注いで点、10点アップさせる方がはるかに有利なのです。

高校年生のみなさん、保護者のみなさん、踊らされないように注意してください。
冒頭に挙げた難関・超難関大学を目指す人は、英検級の合格レベルが出願資格となるので、
年生のときに英検級には合格できるように準備はしておいてください(楽ですが)。

今回の騒動で最も役に立ったのは、県立高校(複数)の英語教師が、
「民間検定試験から英検が撤退した」とのデマを信じ生徒に流したことでした。
知能の低さと常識的な判断力のなさが明らかとなり、生徒が教師を判断・評価する材料となりました。