高校の先生、生徒の勉強の邪魔をしないで!

土日をすべて部活に費やさせている教師がいる。
生徒をうまく洗脳し、「勉強より部活優先」と言わせるまでに育てあげている。
その教師はそういう教育を受けてきたのだろう。
自分と同じような人間を作ることしか能はないらしい。
「勉強より部活優先」で後悔しないなら、そう断言する生徒はそれでいい。
プロを目指すなら、そういう生き方もある。
しかし、それを後輩など、他人に押しつけるのは間違っている。
教師が生徒に押しつけるのは、生徒の人生を潰しにかかっているのに等しい。
「部活優先」と考えて、そう選択してきた生徒が、もし、将来、
「勉強しておけばこんな生活にならなかったのに」と後悔したなら、
そのときにようやく、「部活優先」っていうのは、勉強から逃げ、それを正当化するため
の絶好の言い訳に使っていただけだったなーと気づくことになる。
勉強から逃げたかったから、都合のいい言葉に自分から乗ったと自覚できるようになる。
そう仕向けた教師は一切責任を負わないだろうし、負いようもない。謝りもしないだろう。
自分の選択なのだから、卒業後に後悔してから相談されても、わたしは知らない。
就職がどうのこうのと、関知しない。本来やるべきことを放置してきた人間を
優良企業が欲しがるはずがない。評価はすでに固まっている。時間は取り戻せない。
退部するといっても受け付けない教師もいるらしい。
そうしたブラック部活に虐げられる必要はない。
休部も退部も生徒が自分で決めることができる。
教師の許可などいらない。
自分の人生を他人に委ねてはいけない。他人に支配されてはいけない。
部員は顧問教師の奴隷ではないのだ。自分の人生は自分の責任で自分で決めるべきだ。
教師の強要により、どうしようもなく勉強する時間が取れなくなったのなら、
損害賠償請求を起こしてもいいくらいだ。
公務員による不法行為として構成要件は満たしている。
その前に、教育委員会に苦情を言うなど、手段はある。
校長に言っても、おそらく無意味だろう。言って変わるくらいなら、そうした状況には
そもそもなっていない。

世界史を選択しない生徒に対しても、毎回多量の宿題と予復習を課し、
次の授業で不提出の者や答えられなかった者を叱りつけ、立たせたまま授業を進める
教師がいる。
生徒はその教師がこわいので、平日の勉強をほぼ世界史にあててしまう。
そのために模試での世界史の成績が上がったらしいが、
時間をかけるべき数学・英語が犠牲になっている。
大学受験に思いっきりマイナスだ。志望校の選択に大きく影響することになる。
世界史の教師に人生を歪められてしまっている。

英語のサイドリーダーは、多読が目的であるはずなのに、
テストで精読を前提とした問題を出す、おかしな教師もいる。
おかげで、サイドリーダーの全訳などという、愚かな行為に走る生徒もいるし、
それを推奨する能力の低い塾講師もいる。
(能力の高低はTOEIC[L&R]の得点では判断できない)
精読教材と多読教材を分けられないのは、そうした意識なくレベルの低い勉強を
してきたからだろう。
教師自身が、勉強のしかたをわかっていないのではないかと不安になる。
英語だけで大学の合否が決まるわけじゃない。
余分にかけた時間は他の科目を犠牲にしていることに、なぜ気づかないのか。
英語という科目はオタクを生みやすい。
オタクによる趣味に走った勉強を強いられるのは時間の浪費でしかない。
英米文学者になろうとする者はそれでいいのだろうが、
理系に進みたい者にとっては、そんなムダな時間の使い方はできない。
文系の教師が理系の生徒を指導することに無理があるように思う。
少なくとも、理系と文系とで、授業の内容・進め方を変えてもらいたい。

物理の教師で、高1での物理基礎で電磁気まで進むことができないまま物理基礎を終え、
高2から物理に入って12月になってもまだやっと波動の前半で、電磁気まで遠く、
超重要な分野である電磁気を高3まで持ち越そうとする者がいる。
授業の多くの時間をムダな実験を見せることに費やし、なすべきことをしていない。
わからない授業をするから、生徒が眠るのであって、
それを芸人のようなウケを狙った授業でムダに時間を使って眠らない授業をして、
いったい何の意味があるんだ?
授業を自分の遊びの時間と勘違いしているとしか、思えない。
きちんと期間内に範囲を授業し終えることは、欠かせない。
そうでなければ、受験前に生徒が泣くことになる。
範囲を授業し終えることができないなら、教師でいてほしくない。
生徒を惹きつける授業をしたいなら、その教師自身がもっと物理や教え方を勉強すればいいだけだ。
わたしは小中学生相手の塾の講師をしているときに、自腹で予備校の授業を受けにいったし、
放送大学の物理の講座をほぼすべて見終えた。
問題集・参考書も幅広く目を通してきた。
だから通信添削の仕事でも、生徒の「わからない」に対し、いろんな説明をすることができた。
このくらいの努力は、高校の教師であればやって当然であって、忙しくてできないなどと
甘えているのならプロではない。

生物の教師で、ホルモンによる調節の一覧表を丸暗記させてテストをする者がいる。
血糖値の調節は、ホルモンと自律神経の両方で調節がなされており、とても興味深いし、
血糖値が140を越えるとどうなるか、70を下回るとどうなるかの話もとてもおもしろいし、
睡眠との関係は役に立つ。眠る直前にドカ食いすると早朝に目覚めることがあるのも血糖値で説明できる。
人間の体の神秘さ・すごさを伝えることができる。
そうした話もなく、入試で生物を選択しない生徒にまで、丸暗記を強要するのは、愚かしい。
スキー合宿で追試をしたらしいが、ここまでくると、パワハラでしかない。
教師の勘違いもはなはだしい。生物を選択しない生徒にとっての丸暗記はムダ以外のなにものでもない。
教師自身が無味乾燥な丸暗記で受験を乗り切ってきたから、そうした授業になるのだろう。
くだらない授業で生徒の時間を奪っていることを意識できていない。
教師の権限を振り回しているだけではないか。陰でバカにされていることも気づかずに。

ムダに難しい問題を出して、三者面談で提出していない旨を保護者に伝え、
その問題に時間をかけさせようとする数学教師がいる。
一貫校や進んでいる他の県立高校に比べ進度がかなり遅いのに、ムダな勉強をさせて悦に入っている。
高2の12月ならば、数Ⅲに入っているべきだ。
ひどい遅れを取り戻し、少しでも早く数学全体が終わるようにすべきなのに、
例年より早く進んでいるなどと悠長なことを言っているらしい。
「考えることも大切」というのは、そのとおり。
しかし、ひねくれた問題を解かせることは、「考える」ことではない。
今の時期は基本を徹底させるべきなので、ただの時間の浪費にすぎない。
時期外れ、かつ、ピント外れなことをさせているのは、
その教師自身がまともな受験を戦ってきていないせいだろう。
数学の実力をどうすれば伸ばすことができるのか、全然わかっていない。

高校の教師は、多くの塾の講師と同じように1科目だけを受け持つために、
その生徒が本来何に時間を費やすべきかわからずに、
趣味の勉強課題を出してしまいがちだ。
コントロールできる者が存在しないために、異動や定年まで被害者が増え続ける。

生徒にとっては災難でしかないが、
中には、数学のムダな問題を解いて、まわりにスゴイと思われたい生徒もいる。
基本があいまいなのに、それを横に置いて、つまり、受験勉強を犠牲にして、一時的な評価を求める。
上位の人たちと(形だけ)同じ境遇に入ろうとする。
自分はできるんだと、取り繕おうとする。
常に上位にいる人が余力で解く分にはカッコイイけれど、
そうじゃない人が解いたところで、やるべき勉強を犠牲にしていることは誰の目にも明らか。
評価されたように思うのは錯覚にすぎない。
実力向上につながっていないことに気づくのは、
次のテストで相変わらずのひどい点数を取ったときだろう。
受験までの時間を浪費してしまっている。できたはずの勉強を、し損なっている。
親まで教師に加担している場合もあり、結果が出て気づくまで待つことになる。

授業で使う問題集の、詳しい解説冊子をわざと配布しない教師もいる。
略解として答えだけは載っているものの、数学であれば、証明問題の答えは省略されている。
こんなものを課題としてやらせても、その解き方が正しかったのかは、わからない。
教師が解説を自分の授業に依存させるために、冊子を配っていないだけだ。
教師の言い訳として「配ると、解答を写して提出する生徒がいるから」がよく使われる。
たしかに、勉強しない生徒はそうするだろう。しかし、配らなければ勉強するようになるのか?
そんなことはないので、この言い訳は、ただの詭弁にすぎないとわかる。
困った生徒は解いている生徒のものを写させてもらっている。
冊子を配らない本当の理由(本音)は自分の授業に集中させたいから、という、エゴだ。
解説を配ってしまうと、優秀な生徒は自分で勉強してしまって、教師の密度の低い授業を
聞かなくなる。それがこわいだけだ。
まじめに勉強している生徒にとっては、解いた直後にその解き方・考え方があっているのか
確認したいのに、それができない。答えがたまたま合っていただけだと、修正する機会が失われる。
教師の浅はかさに呆れる。まったくもって愚かしい。嘆かわしい。
解説冊子をわざと配布しない教師は、その程度の人なんだとあきらめて、うまく時間を使ってほしい。

進路相談・受験指導と称して、単にプリントにあらかじめ記載された質問をして、
生徒の回答を記入するだけで、それ以上のことは何もせず、相談・指導をしたという実績を
作っている(捏造している)教師もいる。
それが高校の宣伝材料にもなっているから、あきれかえる。
その教師は、生徒から、一人の大人として、人間として、どう評価されるか、考えたことはないのだろう。
軽蔑しかできない。いわゆる「公務員」らしい働き方ではあるが。

難関大学への合格者を多く輩出している都内の高校では、
授業はかなりゆるく、生徒への制約が少ない。
だから生徒は自分で考えて、自分のために最適な勉強を進めることができる。
つくば市内の県立高校は、その逆のように思えてならない。
教師が自分たちの能力を過信しすぎている。
そもそも、教師自身は大学受験で成果を出したのか?
出していないなら、威張ってはいけない。ムダな課題を出してはいけない。
教師より賢い、教師より努力している生徒はたくさんいるのだから。
生徒のために、生徒の勉強の邪魔をしないようにしてほしい。
自由な時間をたっぷりとあげてほしい。

都内の公立高校の中には、塾と提携して、放課後の時間に塾の授業を校内で受けられる
ようにしているところもある。
教師たちは、自分たちの力だけで難関大学に進学させることができる、などと
思い上がったりしていない。
県立高校の教師の中には、これまでの卒業生の大学進学実績(の一部)を根拠に
高校の教育が優れているから塾などいらない、と考える人もいるようだ。
校長がもしそんなことを言ったなら、その高校は終わっていると諦めていい。
そんな高校を頼っても意味がない。
難関大学に進学した生徒たちは、教師のおかげで合格したのではない。
生徒自身の努力によって合格したのだし、多くは塾に通ってもいた。
自分の子どもを見ていて確信した。情けない授業をする教師に対しても腹を立てず、
その時間で自分でできることを精一杯して、時間をフルに使っていた。
高校の授業は勉強のキッカケにすぎず、勉強は自分でしていた。
現状を常に分析し、何をすべきか、いつも手帳で優先順位を決めていたし、
やったことの記録も取っていた。
だからこそ、公立高校から東大に現役で合格できたのだ。教師のおかげではない。
わたし自身も同様で、高校の授業はほとんど役に立たなかった。
自分でやったからこそ身についたし、何をすべきかもよく見えていた。

状況が、都内に比べ10年以上遅れているように感じる。
変わるのは、権力を持った人たちがいなくなる20年くらいあとなのかも知れない。
理想の学校を作ろうと設立されたところも、似たような状況なので、笑ってしまう。

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12月26日のニュースによると、公立小中高校教員のうち、うつ病などで休職した教員は
2017年度で5077人だったらしい。多忙でストレスを抱えていることが一つの原因とか。
全体の0.55%なので、民間企業に比べればずっと少ないように思う。
上に挙げた教師たちは、休職した教員と同様に、精神面でおかしくなっているような
気もする。
ストレスのはけ口を生徒に求めている人もいるのではないか。
多忙なだけでは精神的におかしくなったりはしない。
もしおかしくなるのなら、ずっと休みなく、超長時間働き、空き時間を勉強に充てて
いるわたしは、発狂しているはずだ(笑)。
わたしは人生の岐路に立ち懸命に努力しようとしている生徒の役に立ちたいと思う。
そのために努力しているし、その努力すらも楽しく感じる。ストレスはない。
資質も影響するのだろうけれど、甘えが強い教師ほど問題教師になるのではないかと思う。
生徒に対し、怒鳴り散らしたり、文系へ転向させるために罵倒したりしている教師は、
生徒に甘えてしまっている。公務員になった「エライ人」だから特権があると妄想している。
田舎にありがちだけれど、公務員になっただけで、勘違いする人も少なからずいる。
休職した人だけでなく、休職に追い込んだ教師・校長もいるだろう。
上述のような、くだらない授業を垂れ流す教師も含め、要するに、精神的に幼稚な人たちだ。
脳がすでに萎縮してしまっているのかも知れない。
税金で生かしてもらっていることをまったく自覚していない。
威張ったり怒鳴ったり形だけの仕事をしている教師を、一度干す制度がほしい。
いったん、民間企業で働かせ、教師の常識が一切通用しないことを認識し、
自分たちの甘さを痛感すればいい。
教師に対する通知表制度もあっていい。
生徒を潰し続けて、老後は悠々と年金生活なんて、税金に巣くう害虫だ。