毎日、自習室通い?

まったくの個人的な私見にすぎないけれど、
毎日自習室に通うのは、よくないんじゃないかと思う。

自宅では集中できない、だから、集中できる環境を求めて外で勉強する、
ということなのだろう。

しかし、問題点は2つある。

(1)外からの強制力 = 視線が外を向いている

人間は慣れる動物だが、毎日自習室に通っていて、いつも集中できるの
だろうか。
たしかに、自習室に行けば、勉強するつもりで来ている人ばかりのはず
だから、ライバルと競り合うつもりで集中できる面はあるだろう。
また、自宅とは違って、TVをちょっと見たりとか、マンガを読んだり
ゲームをしたりすることができない。だから集中できるといえなくもない。
しかし、いずれも、努力する意志が弱く誘惑に流されやすい自分を
他人によって強制的に勉強に仕向けている点で共通する。

つまり、視線が常に外を向いていて、外(まわり)を見ながら気にしながら
勉強をしていることになる。
そうすると、単に気が散っているというにとどまらず、
他人を意識した勉強内容、勉強姿勢になってないか?
- それが、とても心配になる。

これだけでは伝わらないとおもうので、少し具体的に挙げてみると、
たとえば次のようになってしまっていることが考えられる。
・音読したい。でも声は出しづらい。
・歩き回りながら覚えたい。でも座ったままで済ませよう。
・もっと簡単な問題集をやりたい。でも見栄的なものが邪魔をする。
・逆に、もっと難しそうな問題集をやりたいけど、あんなのをやっている
 と思われたくない。
・自習室に持って行った本等の範囲での勉強にとどまる。
 あれも持ってくればよかった。でも重いし荷物がすごく多くなるし。
・ノートをきれいにまとめたり、カードを作ったりという作業時間が増えて
 「勉強してます」風は装えるけれど、肝心の記憶や理解の時間が取れていない。
 考えてばかりだと、何もしていないように見られるかもと思い、
 つい作業に走ってしまう。
・今日はちょっと休憩したい。でも、来た以上は頑張らなきゃと思い
 無理をしてしまい、効率の悪い勉強に終始する。
・食事がきちんととれていない。毎日これだから、体調に響いてくる。
・外ではどうしても緊張した「よそ行きの自分」で過ごしており、
 必ずしもしっかり理解し覚えるのに適した状態とはいえない。
・他人に見せるための「勉強」(のフリ)を無意識的にやってしまう。
・興味・関心の中心が、自分がどう見られているかにあり、
 勉強の中身に関心がなくなっている。
・勉強の進度や理解度にはあまり関心がなく(意識しないようにして)
 「今日も自習室で●●時間頑張った」「毎日通っている自分ってステキ♪」
 という自己満足を求めるようになり、
 外から見られた自分を重視して、そのために頑張ってしまう。
・「自習室に長時間いる」ことがステータスになってしまうと、
 効率よく勉強しようという意識が消え去ってしまい、長く過ごせるように
 低い集中度でだらだらとした勉強が習慣化してしまう。
・自習室に通っていれば、大丈夫なんだと、勝手に盲信してしまって、
 効果や効率の分析は無意識的に避けるようになってしまっている。
・テストの結果が悪くても、「毎日自習室に行っているから」が免罪符になって
 親の追及を免れているし、自分自身もごまかしている。

(2)自宅で勉強ができないままにして、勉強ができるようになるのか?

勉強は理解と記憶に大きく分けられるが、記憶に最も有効なのは就寝前。
その次が起床直後。
ずっと自習室で頑張っている人は、家ではリラックスモードにしかなれず
趣味や遊びや娯楽に走ってしまいがち。
雑用的なことがあとまわしになるせいで、就寝前まで勉強にならない。
起床直後も準備にバタバタして、勉強モードになれない。
そもそも、自宅では誘惑が多くて勉強が手に付かない、と言っている時点
で、結構まずい。最もしたいこと、最も実現させたいことが、大学合格では
ない、ということだから。最も強い誘惑が受験勉強というのが理想。
受験勉強の優先順位がかなり低いから、自習室に行っているというのであれば
いったん、自分の心を整理した方がいい。
自宅にいる時間が少なくなるので、自分の勉強机がただの物置と化している
場合も起こりうる。疲れもあって、そうなるのもやむを得ない。
ただ、きちんとした片付けまではできていなくても、不要なものは処分して
必要なものを種類ごと、科目ごとに整理しておくことは必要だと思う。
それがアタマの中と同じ状態だと考えられるからだ。
放置 = 習いっぱなし、解きっぱなし → ごちゃごちゃのまま忘却へ


では、どうすればいいのか。
自習室は、塾だけでなく高校や図書館なども含めて、
自宅外での勉強という点で、利用してよいと思う。
自宅外で勉強するメリットは否定はしない。
ただし、毎日ではなく、週に2、3日で十分ではないかと思う。
自習室を毎日使いたいから塾に通っている、というのであれば、
そんな塾はやめた方がいい。
高校にも自習できる場所はたくさんあり、街中の店でもできる場所もある。
あえて外で勉強する必要がないときには自宅で勉強できるように、
自宅の環境(心的環境を含む)を勉強向けに整えておくことはきわめて重要だ。

自習室で勉強していれば、すぐに質問できるから、というメリットは、
一応、首肯できる。
では、そんなに頻繁に質問することが必要なのか?
実際に、すぐに質問できるのか?担当講師がほかの授業をしていたら
できないんじゃないか?
テスト前などは質問したい人が行列になってたりしないか?
質問ができる手段をほかに持てば、わざわざそのために自習室に通わなく
てもいいんじゃないか?
一度、落ち着いて考えてみてほしい。

自習室に通うよりは、高校内で自習した方が時間の節約になる。
もっといえば、授業と授業の合間の休憩時間も活用すべきだし、
その時間をムダに過ごしておいて、わざわざ自習室に通うというのは、
車でスポーツジムに通ってウォーキングを30分だけやって帰るに等しい
くらい、滑稽でもある。
あてはまる人は、意識改革こそが伸びるカギになるはずだ。
時間に対する感覚を正常化し、勉強の効率を意識できるようになることが
必要だ。

勉強は、あくまでも、自分自身の理解を深め、記憶すべきことを記憶し、
解ける問題を増やしていくこと、考える力を高めていくことに主眼をおく
べき(当然のこと)だ。
他人を意識することで、その大前提が崩れてはいけない。
英語も古典も音読がかなり有効だし、数学でも、どう解くかを自分で自分に
レクチャーすることがとても有益な場合もある。こうしたことは自習室では
なかなか難しいことなので、自宅でやりたい。
他人の目を気にせず、自分だけに意識を集中して、勉強したい。
そうできるように勉強する場所を選び整えていくべきだ。
自宅に自分専用の部屋なんてなくていい。自分専用の机もなくてもいい。
教科書、プリント類を整理保管する棚だけは必要だ。
勉強する場所は、リビングで十分だし、隣で家族がTVを見ていても、
弟妹が騒いでいても、構わない(かじられたり、破られると困るが)。
寝転がってでも勉強はできる。
机に向かって、背筋を伸ばして、、、なんていう迷信を信じちゃいけない。
どこでも勉強できるし、どこでも勉強できるようになっていくことが
本当に伸びていくために必要だ。
単に意志が弱いから衆人環視の環境を求めて自習室に通うというのは、
単なる対症療法にすぎず、根本的な解決になっていない。
勉強しているフリをするための方策でしかなく、勉強自体に熱中できるように
なるものではない。
親は、どうしても「形」に安心を求めてしまいがちだが、遊んではいないと
いうだけで、必ずしも勉強していることになっていないことがある点に
注意しなければならない。
相変わらず勉強できていないことを、「自習室通い」でごまかしているだけ
だったなら成果も出ない。効率の悪い「お勉強」をだらだらとしていたら、
勉強した気分には浸れるものの、点数は低空飛行のままで積み残しがどんどん
増えていくだけになる。